2011/5/1〜色々な「物語」(〜4/30・掲示板開設までの間に)

2012年3月11日 -被災に苦しむ人々の「夢」について-

2011年3月11日以前、以降 被災地に住む人々の「夢」は一変した。

私は、仕事も含めて2度、現地を訪問する機会があった。瓦礫の上を歩きながら「畏れ」というものに押し潰された。何度も涙を拭った。私が踏みしめている「瓦礫の下」には、未だ発見されることのない「遺体」が無数に存在するのだ。その実感というものは「映像」をみているだけでは、決して伝わってこない。「映像」というものは、決して「嗅覚」に訴えることはないのである。そのことを私は肌身に感じた。肌身に感じたのだから、余所者の私はもう「泣いてはいけない」と思った。

「亡くなった人々」は語るべき言葉をもたない。「亡くなった人々」は未来を口にすることはない。「亡くなった人々」は夢を伝える手段を奪われる。そして、失ったものが大きければ大きいほど、残された人々も言葉を失う。そして「未来も夢も」変わってしまう。そんな現実が人々を唐突に襲う。風景が一変する。昨日までの「景色」は、決して繰り返されることはない。

被災地に住むお孫さんに、年老いた夫婦が「誕生日」に「がん保険」をプレゼントしたという報道に接したことがある。掛金が低いから「自分たちが生きている間は、毎年それを続けられる」と老夫婦は語り、寂しそうに笑った。保険会社の社員が「幼児、児童への加入が増えています」と語る。ぶ厚いファイルが手元に置かれている。保護者は両手で顔を覆った。「嬉しくはないですよ。だけど、そんな未来を想像しなければいけないことを思うと、やりきれません」

私がよく存じ上げている三十代のご夫婦は、子どもに恵まれたときの影響を考え、東京を脱出された。ご夫婦には「東京で実現したいこと」もあったと思う。それをさっぱりと棄てられた。「また仕事を探さなければいけません」と笑っていたが、さほどそのことを苦にされた様子もなかった。今は関西で夫婦仲良く生活されている。「そのことで、好きなモノ、やりたいコトが変わるわけでも、なくなるわけでもありません」若さというのは眩しいものだ。

多くの人々を一瞬に呑み込み、そこに暮らす人々、生きる人々の「夢と希望」を変えた出来事から1年が経過した。

「生きること」「暮らすこと、生活すること」とは何か。そして「幸福(しあわせ)」とは何か。

東日本大震災以来、私もカミさんも、時折そんなことを考える。そんな話をすることがある。

祈るというのは、勿論、手を合わせることでもある。しかし、日常にあっては必ずしもそれだけではないのかもしれない。

日々の生活の中で「忘れないこと」「願い続けること」「自分ができることについて見据え、考えること」も含まれるはずだ。そして「言葉のチカラ」を忘れないことだ。人間には「言葉を駆使する能力」がある。人は人に裏切られることは時にあるのだけれど「言葉」を大事にすれば、それは使い手に「生きる力」を必ず与えてくれる。粗末にしなければ。

                     JC IMPACTU





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