2011/5/1〜色々な「物語」(〜4/30・掲示板開設までの間に)

あなたならどうする?

ここに記した原稿も今回が25本目になった。前回、記したとおり、5/1からはBBS言葉の対局室を開設するので、しばらくはこのページも「お休み」となる。次回の更新は、ゴールデンウィーク明けぐらいだろうか。

私のカミさんもこのサイトに時々アクセスしているようだ。彼女は「将棋」についての知識は一切といっていいほどない。以前、一度、教えかけたこともあったのだが、中途半端なままで終わってしまった。ただし、本人に全く興味がないというわけでもなさそうなので、私が年金老人になったら、二人で盤を前に座ってみたいと思っている。

時々、カミさんから「注文」が入る。「内輪話ではなく、私にもわかる話を書いてくれ」と。

で、今回はそのリクエストに応えることにした。従って、カミさん以外の方がこれを読んでも、あまり面白いものではないような気もする。その点を最初にお断りしておきたい。

結婚以来、カミさんに面と向かって伝えたことはないが、生活をするにあたって、私自身が決めていることがいくつかあった。ひとつは、カミさんを「呼び捨て」にするということが私にはない。「おおい」とか「ちょっと」という呼びかけもしない。人前であろうとなかろうと、そういう接し方は私が苦手なのである。

ふたりとも「趣味」というものがいくつかある。共通のものもあるが、独自のものもある。その「独自のテリトリー」については、求められれば何かを述べることはあるけれど、でない限りは基本的に口出ししない。生まれた場所も違えば、住んだ環境も違う。家族構成も違えば、学校も異なる。当然、価値観も違うこともある。とりわけ「趣味」というのは「拘りの集積」みたいなものだから、知らない者が、生半可なことは口にすべきではないという考えが私の中にある。

ただし、共通の趣味に関しては、少し事情が異なる(笑) まぁ、おそらくは私の意向を随分通してもらってはいるのだけれど、それでも時々、ある事象に対して、決して押しつけたりはされないのだけれど「私ならこうする」と、ボソッと呟くことが彼女にはある。別に陰々滅々と語るわけではない。考えるようなそぶりと共にふっと空を見上げ、妙に明るくそう口にする。私はこれが「怖い」のだ(笑) だからそういう時には、直立不動で(笑)カミさんの意見に従うことにしている。

対外的に原稿を発表する時など、私はカミさんにまず仕上がった原稿をみてもらう。どんなジャンルのものでもそうだ。交際期間中に、私はよく手紙を書いたけれど「何を言いたいのか、さっぱりわからない」という返事をもらったことがある。そんな辛辣なことは、普通は言わないものである。以来、私は対外的に発表する原稿の類は、全てカミさんにみせることにした。彼女に言わせれば、私の文章は「論理の微妙な破綻を適当に修飾することには長けている」というもので、これは褒め言葉では全くない。「それは、ロマンというものをわからないと告白しているに等しい」と、私は精一杯の抵抗を試みるのだが、勝ち目はなさそうだ。

以前、カミさんが「夫婦で通う寿司店」のことについて、ショートエッセイのようなものを発表したことがある。大手出版社の元役員に、お世辞半分にしても褒められていた。「殺し文句」が巧いと、私も思った。文中だったか表題だったかに「かけがえのない」という表現が用いられていて、私は本気で「それは(かけがいのない)が正しいのではないか」と異議を申し立てた。カミさんが「目をむいた」のは、言うまでもない。
「広辞苑」の登場である。「そんな意味がが通るというなら探してみて」と笑う。私はその時まで「かけがい」が適切な表現だと思っていたから「語源は欠けたものは買いようがないということなんだよ」と強弁したら、顔中が「目」になり「大字林」まで運ばれてきた。是非はともかく、私の方が説得力があるではないか、とこれを書きながら思っているのだが(笑)
「ツケのきかない寿司屋さんだから、かけがいがないで正しいではないか」と、ここまで言うとあまりに空しくなってしまう。

私の愛読する作家、白石一文氏の直木賞受賞作は「かけがえのない人へ」だった。

何気ない会話の中で「今、何て言いました?」とカミさんの目が光る。「私ならこうする」と空をみて彼女が呟く。

さて、あなたならどうしますか?

                                 JC IMPACTU



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