2011/5/1〜色々な「物語」(〜4/30・掲示板開設までの間に)

ふたつの震災

阪神・淡路大震災の時に私は大分市内に在住していた。そして独身でもあった。
地震発生後、午前9時過ぎだったか、勤務先のテレビで神戸の街々から突き上げるように広がる炎と黒煙をみて容易ならざる事態になったということを認識した。

実家は今でも九州管内にあるが、私自身は大都市のひとつに住んでいる。よく考えてみれば、幼年期から、私はいわゆる「田舎暮らし」というものをしたことがない。父親は第三次産業に従事していたし、私も給与所得者である。大分市内に住んでいた時ですら、それは中心部だった。どこに住んでも、窓からみえる景色は建物群や高層のマンション、ビルばかりで、田園風景は常に「非日常」という環境に育った。家族に農業従事者は誰もいなかったから、口にする食材は、全て「購入するもの」ということになる。自給自足の経験がない。

車で郊外に出た時に「原子力発電所」をみかける。見学させてもらったこともある。それなりの安全神話が語られもした。都市の中心部に住むということは、その施設の恩恵を被るということに等しい。今でもそうだが、原発については、地元は勿論のこと、建設時には必ず反対運動がある。地元に限らず「反対」という声もある。ただこの問題は、例えば国政レベルの選挙の争点になるかといえば、少なくとも私の記憶にはない。恩恵を被る側にとっては、やむをえないという、一体何がやむをえないのか、さしたる意識ももつことはなく、やむをえないに、してしまうからである。私自身も告白すれば「原発」に反対したということはない。勿論それは「安全性」というものが担保されているということが前提にあるのだけれど、いずれにしても「反対」という立場をとらなかった。

基地も原発も、ある意味、リスクを「地方に」おしつけてきたという意識が私の中にある。更には食糧自給すらしているわけではない。もっぱら「消費」だけを続けてきた。「お前は今頃、何をいうのか」というご批判があると思う。そう問われれば、正直、返す言葉は私にはない。消費するということの活気めいたものを「免罪符」にしていたという気持ちに苛まれる。そのことと、震災後一週間の政府や電力会社の対応について言及するということは、おそらくは別の問題だ。そのことも頭ではわかっている。こうして過ごしている間にも、避難所の方々の訃報が報道を通じて飛び込んでくる。福島県の方々からは「事実上の見殺しに等しい」という声もある。

ではこの問題を機に「お前は転職するのか。自給自足を営むのか。原発を容認する立場はとらないのか」と問われると、どのひとつについても明快に回答することができない。所詮、口先だけではないか。そんな戯言を述べる暇があったら、もっともっと他に考え抜け、ということになる。

私は私の中で「できることをやるしかない」という面がある。ただ、少なくともここに述べたような私個人の環境やライフスタイルやそのことによって醸成された「ぬるい思想」みたいな刺を「置いといて」少なくとも今は、政府や電力会社に対して、覆水盆にかえらずみたいなことをあまり口にしたくはない。結局、自分の中での優先順位の問題なのだろう。更にいうならば、あくまでも私個人の、固有の問題として「消費してきただけの人間、恩恵を被ってきただけの人間」が、今になって「安全神話の崩壊」をただただ批判することへの、個人的な疾しさのようなものが拭えないのだ。少々の不自由、不便など「当然」というのは、そういうことでもある。

政府の責任、電力会社の経営陣の責任を問うということ、おそらくは初動の問題、情報開示の問題、ライフラインの確保の問題、首都機能の維持という問題、そして「いのち」の問題。色々なことが問われていくだろう。それは勿論必要なことだ。ただ、今の私には、日々刻々と状況が動いていく中で、個人が求められる優先順位というものは何なのだろうか、と、そういうことも頭を過る。

東京電力女子社員が実名でコメント という記事がweb上にある。この記事に対する意見も様々なものがある。おそらく大多数の人々は「原発で今も作業を行っている人々に対して、畏敬の念を覚えることはあっても彼らを批判しているのではない」 そもそも、東京電力女子社員の方が、本当に投稿したものかどうか、今は削除されているそのサイトには「実名」が公開されていたが、勿論、厳密な意味での担保とはならない。

そのことを情緒的に利用するものではないか、という辛辣な意見もネットにはみられる。ただし、あえて言うならば、書き手が誰であろうと、属性の真偽がどうであろうと、今もこうして懸命に作業を続けている人々が存在するというのは厳然たる事実である。人は、生きるために、生活の糧を得るために、家族を守るために働く。

一刻も早い復旧を願うと同時に、こういう人々への「想い」をみなさん同様に、私もまた、忘れない。
その尊さから学ばねばいけないことは、少なからずあると私は考えている。

                                    JC IMPACTU



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