2011/5/1〜色々な「物語」(〜4/30・掲示板開設までの間に)

中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに-(12)

「将棋ジャーナリズム」という言葉を初めて目にしたのは、確か「web駒音」ではなかったかと記憶している。一瞬、何の意味だか、わからなかった。というのは「将棋ジャーナリズム」というような分野がかって確立された時代などなかったのではないかと私は考えているし、何人かの観戦記者、学芸部の記者、記者経験者に尋ねてもみたのだが、皆、何となく曖昧な顔をする。めくれば「そんなものあるのですか」という感じである。

ある時期から、LPSAは、連盟との交渉ややりとりをweb上で公開しなくなった。霧島酒造に対する「不買運動」など、おそらくはLPSAも想定しなかっただろうし、本意ではないところで、一方に肩入れする側が妙に盛り上がってしまったという印象が私にはある。贔屓の引き倒しになると、これはもう「応援よろしくお願いします」というレベルではない。

やがて、公益法人問題についても結論が出るわけだが、先日の指導対局の日、先生に「公益法人後の収入システムの問題について」伺ってみた。「いやぁ、不安といえば不安なんですけどねぇ」と笑いながら、それでもあまり不安そうな感じでもない。というか、普及活動に熱心な先生でもあるから、そう強いリスクは感じていらっしゃらないのだろう。それはそれで、いいことである。

たまたま、その日は女性の方が参加されて、手合いは四枚落、私は四枚落ちという経験がないから、時折、隣をチラッと眺める程度だったが、実に巧くというか、下手が気持ちよくなるように導いていた。教え上手なのである。先生に若島正さんが悩まれたという詰将棋をおみせした。「5手詰ですかぁ、ぅぅん」と、なかなか指し手を示されない。初手は持ち駒を使いませんと申し上げたら0.2秒ぐらいで、スラスラと解かれた。「詰将棋って苦手なんですよね」と苦笑される。得手不得手のことだから、それでどうこうということには、勿論ならない。

さて、話を戻そう。将棋ジャーナリズムについて、である。

----------------------------------------------------------------
第1局は私の地元、仙台での対局だった。対局開始の直前、対局室に森さんは頭をツルツルに剃った姿で現れたのだ。前夜祭の森さんは、どちらかというと長髪だったと思う。前夜祭終了後に理髪店に行って頭を剃ったわけである。
森さんは別のホテルに宿泊していたので、私だけでなく関係者も対局の朝になるまで知らなかった。
私も一瞬、誰が座っているのか理解できなかった。青々と剃った頭は不気味に見え、そのころはやっていた映画「犬神家の一族」に出てくる仮面の男を連想したほどだ。
立ち会いの花村元司九段が、観戦記担当の山口瞳さん、特別立ち会いの大山康晴十五世名人、そして自分の頭が薄いので「四光(シコウ)ができた」と花札に引っかけて冗談を言ったが、誰も笑わなかった。
(「中原誠名局集」2011年2月 日本将棋連盟刊より引用)
-----------------------------------------------------------------

第36期将棋名人戦第1局の観戦記は山口瞳さんが担当された。

-----------------------------------------------------------------
「私にことわりなしに剃っちゃいけない」
花村さんも、ツルツルに剃った頭である。
負けて坊主になる人はいる。はじめっから剃っちゃうのは珍しい。
「いや、そうじゃない。森さんは、名人に引導を渡すつもりなんです」
ナルホド、まだ、森八段剃髪の驚きが去っていない。
「毛のある人はいいんですよ」。この朝、午前五時何分かの夜行列車で着いた大山名人が、花村さんと私の頭を交互に見ながら言った。
「われわれには、それができない !」
(「第36期将棋名人戦全記録」(昭和53年7月・毎日新聞社刊より引用・観戦記/山口瞳)
------------------------------------------------------------------

中原十六世名人の著書にある出来事は、おそらくは事実だろう。嘘を書いても仕方のないことである。

ただ、山口瞳さんが観戦記として書かれた↑の内容は、創作の面が入っているかもしれない。話が些か出来過ぎているという面もある。しかし、私はそれを巧みな技術だと思う。その光景が浮かぶようだし、それぞれの特徴をもうまく表現しているからだ。

極論するならば、私は観戦記者の方々は、棋士の肖像を何かこう匂い立つように描いて欲しいなぁと、いつも思っている。棋士としての魅力を引き出してくれれば、それで充分なのだ。
例えば、大山康晴十五世名人にも、批判的な立場の棋士もいれば、支部の関係者もいた。私が知っているくらいだから、観戦記者や学芸部、文化部の記者が知らないはずはない。
しかし、彼らの役割は、実はそういうところにはないのである。もっと言うなら求めるべきでもないのだ。
「将棋という世界」「プロ棋士がプロ棋士である所以、故に存する頑固さやしたたかさ、子供っぽさ」をみせてくれればそれでいいと、私は考えている。

「力関係において負けるから追随せざるをえない」などというのは、考えてみれば随分と非礼かつ無礼な話でもあるのだ。そういう意味のジャーナリズムを私は求めない。

ただし、現状に不満があり、棋士が立ちあがるというのであれば、それは自分たちの組織の問題なのだから、存分にやればいいだけのこと。内部の賛同者、共感者を募らずに、或いはその賛同を固めることができないのであれば、外部の力など結集しない。迫力に欠けてしまうからだ。

大山十五世名人のような「例外」は別である。棋士というものは、年齢と共に棋力も気力も衰え、やがては、自らが自らに「宣告」しなければいけない時が必ずくる。生き方を変えなければいけないということにも繋がる面がある。私は今回の米長改革は、ギリギリのところで、そのバランスを保つべく選択した方向なのだと考えている。だから、棋士たちから、さほどの不満も出ない。

米長会長にとってLPSAは、いわば不倶戴天の敵というと言い過ぎかもしれないが、まぁ、もうおそらく眼中にはないのかもしれない。それはそれで仕方のないことなのだ。LPSAとて、自ら選択した面があるのだから。

ただ、私は思う。
LPSAの棋士たちに、研修会含めて、将棋を指す機会は与えて欲しいのだ。
私は現時点では、石橋さん、中井さんがピークを過ぎたのちの、或いは彼女たちが引退した後に、この組織がどうなっているかという姿が殆ど想像できない。

それでLPSAが窮地に追い込まれることで、連盟や会長の評価が高まるかと言えば、これまた全然別の話なのだ。おそらくその時に、米長会長の最後の器が問われる、私はそう考えている。

                                JC IMPACTU



トップへ
戻る
前へ
次へ




inserted by FC2 system