2011/5/1〜色々な「物語」(〜4/30・掲示板開設までの間に)

中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうに-(11)

中原誠十六世名人-蜃気楼のむこうにの過去ログは 盤側の談話室 に収録されています。

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谷川さんは少年時代から評価が高かったが、関西なので会ったことはなかった。勝浦修九段との第17期王位戦七番勝負で記録係を務めてくれたときが初対面である。まだ、中学2、3年生だったと思う。
「今のうちに色紙をもらっておいたほうがいいよ」と関係者の誰かが言ったのを覚えている。腸有望な新人が出てきたときに、よく使われる将棋界ならではの常套句だ。
(「中原誠名局集」2011年2月 日本将棋連盟刊より引用)
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実はこの谷川十七世名人のエピソードを、私は将棋マガジンで読んだ記憶がある。
この記事には「色紙をもらっておいた方がいいですよ」と笑いながら述べたのは、中原名人ということになっていた。だから、私はそのことを覚えていたという面がある。

中原誠十七世名人が、実際にはそう述べたのだけれど、ここでは「関係者」と記したのか。或いは観戦記者の脚色だったのか、今となってはもう定かではない。前者ならば、中原さんの「意地」の部分を、ここにみることができるし。後者であれば、当時の谷川さんに「観戦記者が華を添えた」ということになるだろう。改めて考えてみると、どうも観戦記者の想いが「創作された」という気がしないでもない。

芹澤九段は、谷川浩司十七世名人を高く高く評価した。手放しで褒めた、認めたという棋士は、芹澤九段の場合、谷川浩司ひとりといっても過言ではない。中原名人は、芹澤九段の「谷川絶賛」を、どう眺めていたのだろうと思うことがある。

同門でもあるから、芹澤九段が「中原名人を褒めちぎる」というのは、何とはなく味が悪い。
芹澤九段は自著で、将棋の才能は「米長が上」と述べたことがある。中原十六世名人に「技術を教えたのは自分だ」とも語り、中原名人自身も、そのことについては同意している。

その芹澤九段が谷川浩司十七世名人を絶賛した。B1組で「芹澤-谷川戦」が行われた時に、芹澤九段は本気で戦った。そして勝った。しばらく前から、酒も博打も絶って、この対局に臨んだのである。

私は、中原誠十六世名人は、谷川さんの強さは勿論、承知していただろうけれど、兄弟子の言動によって、すくなからず、谷川さんを「意識」した面があったのではないかとも推測している。芹澤九段が賞賛した棋士、谷川浩司という棋士は、中原名人にとっては、単なる「若手の有望株」では、おそらくなかった。

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私にとって、名人にカムバックを果たした記念すべき一局である。木村義雄十四世名人、大山康晴十五世名人という偉大な先輩が成し遂げた、名人カムバックを目指していただけに、本当にうれしかった。
大げさに言えば、大石内蔵助が討ち入りを果たしたと同じような達成感があった。
谷川さんとは名人戦3回、王座戦2回、王将1回と、タイトル戦で6回対戦している。成績は3勝3敗である。その中でこのシリーズが一番印象に残っている。
いずれも自戦記で取り上げているが、思い出深いタイトル戦といえば、初タイトル、名人になったとき、名人カムバックの3つになる。
(「中原誠名局集」2011年2月 日本将棋連盟刊より引用)
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こういう「ふりかえり」を試みると、本当に「中原-羽生」の番勝負をみたかった。「盤側」でも、私はそのことを散々記したが、そう願った中原ファンは、おそらく沢山いるはずだ。

                                 JC IMPACTU



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